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引退のテニス選手2017 第1弾

男子プロテニス協会のATPは、2017年に引退した選手11人を2度にわたって特集する。19日の第1弾では6選手を紹介した。【ファン・モナコ(5月15日引退)】ピコの愛称で親しまれたは14年のプロテニス人生で、得意とするクレーコートで力を発揮。獲得した9度のタイトルのうち8度がクレーコートでのものだった。2012年7月23日に自己最高の世界ランク10位をシングルスで記録し、トップ10選手からはキャリアを通して20以上の勝利を飾った。その中には、公私ともに親交のあるを2007年のW&Sオープン(アメリカ/シンシナティ、ハード、ATP1000)で下した勝利も含まれる。モナコナダルとペアを組み、2015年のカタールエクソンモービル・オープン(カタール/ドーハ、ハード、ATP250)での優勝など、3度のタイトルをダブルスでも飾った。【アルベルト・モンタネス(4月27日引退)】36歳まで長いプロテニス人生を過ごしたは、バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル(スペイン/バルセロナ、レッドクレー、ATP500)を自身の最後の大会とした。同大会へは2001年に初出場した思い出のある大会だった。モンタネスは得意のレッドクレーで6度の優勝を果たし、テニス人生で212勝をあげた。最高の思い出は2010年の5月に出場したミレニアム・エストリル・オープン(ポルトガル/エストリル、レッドクレー、ATP250)準決勝で、当時世界ランク1位のを下した勝利だと語る。その後、決勝も制して自身2度目のツアー優勝を飾ると、7月にはメルセデス・カップ(ドイツ/シュトゥットガルト、レッドクレー、ATP250)でも優勝。8月には自己最高の世界ランク22位を記録した。【グレガ・ゼミヤ(8月12日引退)】はスロベニア人男子プロテニス選手として初となる数々の功績を残した。世界ランキングでトップ50入り、グランドスラムでは初めて本戦の舞台に立った。そして、30歳でプロテニス人生に幕を下ろした。2012年10月のエステ・バンク・オーストリアオーストリア/ウィーン、インドアハード、ATP500)ではやらを下し、キャリア唯一のツアー決勝進出を果たした。その決勝ではに敗れたが、準優勝を飾った。ツアー下部大会であるATPチャレンジャーでは6度の優勝し、2013年7月5日にシングルス自己最高の世界ランク43位へ浮上した。【ソンデブ・デウバーマン(1月2日引退)】2017年が始まった2日目、31歳のがプロテニス人生に終止符を打った。それは、最後にATPツアー大会の本戦を戦った2016年のチェンナイ・オープン(インド/チェンナイ、ハード、ATP250)からちょうど1年後のことだった。その大会は2009年に自身初のツアー決勝の舞台に立ち、に敗れるも準優勝を飾った思い出のある大会。アメリカのバージニア大学社会学を学んでいたデウバーマンは、大学時代の2007・2008年にNCAAのシングルスで2連覇を達成しプロ入り。2011年には自身2度目のツアー準優勝を飾り、同年7月25日にシングルス自己最高の世界ランク62位を記録した。しかし2012年に右肩を負傷するなど、その後は数々のけがに悩まされていた。【ヒオバンニ・ラペンティ(2月10日引退)】G・ラペンティ(エクアドル)は、ツアー下部大会のATPチャレンジャーで400試合をこなし、10度優勝。しかし記憶に残るのは、2000年7月にエクアドル代表として出場したデビスカップ

ワールドグループ 対イギリス。当時17歳のラペンティは、ロンドンのオール・イングランド・クラブのセンターコートで、最終日に勝敗がかかったシングルス第2試合に登場。試合はフルセットにもつれ、ファイナルセットはゲームカウント0−2とリードを許したが、地元イギリスの声援を受けるA・パーマーを下してエクアドルの勝利を導いた。その前日には実の兄であると組んでダブルスでも勝利していた。翌年の2001年には、とのペアで、ウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝、グランドスラム)ジュニアの男子ダブルスを制した。【コリン・フレミング(1月16日引退)】は、1月に10年のプロテニス人生を終了させると同時にスコットランド・ナショナル・コーチに就任した。ダブルスを専門にATPツアーを回っていたフレミングは、ダブルスで19度ツアー決勝進出、そのうち8度の優勝を飾った。2013年には2度の優勝に加え、8月のW&Sオープンではとペアで自身唯一のマスターズ決勝進出。9月9日にはダブルスの世界ランク自己最高の17位を記録した。<hr>

<引用元>http://news.tennis365.net/news/today/201712/117739.html